安倍政権の倒れるまで

わび入れて さび抜きのように 刺激避け 支持上げようと 甘い考え

戦後70年談話にお詫びの言葉を入れたが、心が入ってないのがバレバレで評判が悪いようだ。戦争法案を成立させるために、あらゆる努力を払っているのは分かるが、説明は全く頓珍漢で、衣の下の鎧をチラチラと見せ極右の本性を現わしてしまっている。こんな姿を見せていけば、支持率は下がっていくのは当然のこと。国民は見抜いてしまった。

今回は、その支持率を上げるために『お詫び』を入れないと言っていたのに入れることにしたのは、柔軟な姿勢と平和を大切にしているというアピールとともに、最も大きい理由として、公明党の支持母体創価学会対策だろう。『公明党が安倍首相の嫌がっていたお詫びの言葉を入れさせた』という勲章を与え「さすが公明党!」と学会員に思わせ、戦争法案への反対意見をなだめ支持率を上げようという魂胆もミエミエ。

だけど、安倍政権の中身を知ってしまった国民の支持を上げるのは困難だろう。学会員を除いて。

しかし、70年談話を読んでみると、戦争を始めた言い訳や米・英・蘭・豪へのおべんちゃらもあり、また主語もはっきりしなく、何を言いたいのかよく解らない。“お詫び”をしているのは今までの内閣や国民であって私でない、というつもりなのだろうか。責任は私にあっても、責任を取らない人だから。

もっとも、お詫びという言葉を今更入れても「侵略の定義は定まっていない」とか「村山談話安倍内閣としてそのまま継承しているわけではない」とか「戦後レジームの見直し」なんて言ってた男の言葉、誰が信じるのか。また、『積極的平和主義』で平和と繁栄に貢献していくと言っているが、今までの彼の説明による『積極的平和主義』で平和に貢献できるなんて全く思えない。

「未来永劫、謝罪をするのは違和感を覚える」なんて安倍側近の右翼女子グループの一人稲田朋美政調会長が言ってたのを受けるように「将来の子孫に謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」と言っている。心から反省し心からのお詫びを行ない、そしてそれを実行していき相手から信頼されれば、自然と謝罪しなくてもいいようになってくる。何故村山談話が必要だったか考えれば分かることだ。今現在、中国と韓国との関係がギクシャクしているのは、安倍内閣が右翼的体質なので両国が警戒している側面が大きいと思う。安倍が退陣し民主的・反戦的内閣が誕生すれば、すぐにでも話し合いができるようになるだろう。